ブックタイトル白描源氏物語│富士精版印刷株式会社

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概要

白描源氏物語│富士精版印刷株式会社

紫式部について紫式部という名前はペンネーム。同僚の赤染衛門の『栄花物語』によると、女房名は「藤式部」だったようです。これは姓が藤原、父がかつて式部丞だったことから。『源氏物語』が好評を博したため、ヒロインの紫の上をもじって紫式部と呼ばれました。生年は九七三年ごろといわれますが、はっきりしません、没年は最短で一〇一四年(長和三年)、最長で一〇三一年(長元四年)と諸説があります。父の藤原為時は受ずりょうかいきゅう領階級という地方の国司を務めた中流貴族で、優れた漢学者・詩人でもありました。少女時代の紫式部は記憶力抜群で、「男の子だったら自分の後継者にしたのに」と父を嘆かせたという話が、『紫式部日記』に記されています。九九八年(長徳四年)ごろ、親子ほど年の離れた藤原宣孝と結婚、一女(大弐三位)をもうけています。しかし一〇〇一年(長保三年)に夫と死別。その頃、物語の執筆を始めたと日記で回想しています。これが源氏物語の原型だと思われます。この物語が評判となり、一〇〇五年(寛弘二年)またはその翌年に、藤原道長に求められ、中ちゅうぐうしょうし宮彰子のもとに出仕しました。一〇〇八年(寛弘五年)の日記に、源氏物語と思われる物語の冊子作りが行われたとの記事があり、その頃には一定の部分が完成していたものと考えられます。『紫式部日記』の後半では、老いの嘆きと出家生活への思いが綴られています。瀬戸内寂聴氏は、自らの出家体験から、第三部の『宇治十帖』は出家後に執筆されたのではないかと推定しています。